小野寺義道
口永禄九年(一五六六)生
口正保二年(一六四五)没
出羽横手城主。
小野寺氏十四代目。
出羽小野寺氏最後の当主です。
十三代輝道の次男。
孫十郎。
遠江守。
天正十八年(一五九〇)春、豊臣秀吉の小田原陣に降り、仙北の上浦郡三万一千石の安堵を得て、近世大名の道を開いた。
その後、同十九年の「九戸政実の乱」にも出兵しました。
朝鮮の役には名護屋へ参会しました。
しかし、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原合戦では、徳川家の再三の要請にもかかわらず、義道は遂に出兵せず、上杉景勝に同盟したと見なされ、最上軍の攻撃を受けました。
同六年正月、小野寺家は改易となり、義道らは石州への流罪が決定しました。
津和野藩(島根県)坂崎出羽守勝正に預けられます。